Narai王の宮殿 / Phra Narai Ratchanivej : 訪問日 α、04Apr2009








この遺跡は、Lopburiにあります。
Ayutthaya朝のNarai王の第2宮殿として、1665年から12年かけて(=ロンプラの情報)
建造されました。
宮殿の周りの外壁や砦は、イタリア人のトーマス神父の設計、監督によります。
トーマス神父は、聖職に就く前は、外壁、砦造りの専門家であったようです。

また、ロンプラの情報によると、Narai王は、西洋諸国の外交使節を多数招いており、
フランス人建築家が宮殿の設計に参加したとあります。
Lopburiは、クメールの影響下にあった時代もあり、クメールの建築も残っています。
そして、この宮殿は、クメール様式と西洋様式が融合した建築となっています。

その後、Narai王の時代以降、放置されていましたが、
チャクリ王朝のラマ4世(Mongkut王)によって、1862年に修復され、
Phra Narai Ratchanivejと名付けられました。

以下は、Phra Narai Ratchanivejの平面図です。



























正面ゲートのPratu Phayakkhaです。

















その正面ゲートを入って、振り返ったところ。














正面ゲートから、まっすぐ西へ伸びる道です。














この正面ゲートから伸びる道の南側には、
このような広い敷地が広がっています。













こんな大きな木もあります。
強い日射しの中で、木陰がありがたいです。













外壁には、壁龕があります。













大きな木から西へ向かって道が伸びており、
その道の両脇に、Narai王の宝物庫がありました。












その宝物庫の南側の建物です。。
ここは、海外大使の為の迎賓館でした。












Narai王の宝物庫は、
レンガでできた12棟の建物で、
2列に並んでいました。










宝物庫です。
窓、入口の上部は、アーチ形状になっています。













宝物庫の建物を、内部から見たところ。
外から見た窓は、アーチ形状だが、中から見た窓は方形です。
方形窓の上部には、左右に横木が渡され、
その上にレンガが積まれています。

窓の下方の壁には、左右に渡る溝があります。
反対側の壁にも同様の溝があります。
この溝を使用して、2階の床が造られていたと思われます。










窓は、方形で上部に横木が渡されています。
そして、その上にレンガが積まれています。

壁の中間に溝があり、この溝を利用して、
2階の床が造られていたのだと思います。










この宝物庫の建物にも2階用の溝と、
天井用?屋根裏部屋用の溝があります。













この建物には、壁龕が造られています。

この壁龕の上部は、アーチ形状ですが、
レンガのせり出し構造で造られています。











宝物庫の入口です。

この入口上部のアーチ形状は、せり出しではなく、
本当のアーチ構造でできています。














宮殿敷地内も城壁で仕切られており、門があります。

この門は、象に乗って出入りできる大きさになってます。






























Suttha Sawan Hallは、
実際のNarai王の住まいでした。
その住まいの4隅には、
水浴び用の池があり、
また、みかん、レモンの木を
植えていたり、たいまつを燃やして
明かりを灯す真鍮の外灯が
ありました。

ここで、Narai王は1688年に
亡くなられたようです。


そのSuttha Sawan Hallのあった敷地です。
宮殿の敷地内部を仕切った壁の門には、
象に乗って移動しやすいようスロープが
設置されています。











Suttha Sawan Hallの敷地から外部へ出る為の門です。














宮殿の敷地内部を仕切った壁の門です。














その門には、木の扉がついています。

















その門の上部を見上げたところ。

門の内側には、木のフレームがありました。
木の扉は、開けられています。















Suttha Sawan Hallの敷地を東へ出たところに、象の畜舎がありました。
Narai王は、多くの象を飼っており、象に乗って、しばしば狩りに出かけていたと言う事です。












この通路の脇には、象の畜舎が6ヵ所ありました。














象の畜舎跡です。














象の畜舎跡。













Suttha Sawan Hallのすぐ北に、Dusitsawan Thanya Mahaprasat Hallがあります。
ここは、Narai王が、外国の大使や、高位の人達に謁見を行った場所です。

















Dusitsawan Thanya Mahaprasat Hallを
東側から見たところ。

このHallの内部は、2つに区切られています。











これが、Hallの内部を区切る壁です。

壁には、窓が開いており、
この窓からNarai王が手前に控えている人達に
謁見を行ったようです。













金箔が貼られてレリーフの図が見えにくいですが、
Narai王が謁見を行っている場面のようです。




















Hallを区切る壁の向こう側です。
この上に王座があったのか?

この上には、階段でもなければ、登れないと思う。











Narai王が謁見を行った窓の裏側です。
















Dusitsawan Thanya Mahaprasat Hallの北隣には、Phiman Mongkut Hallがあります。
チャクリ王朝のラマ4世(MongKut王)によって建てられました。
















これが、Phiman Mongkut Hallです。
現在は、Lopburi国立博物館(Narai National Museum)に
なっており、
クメール、ドヴァラヴァティ、ウートーン、アユタヤの
各時代の芸術品が展示されています。









正面ゲートに向け帰る道の途中、道の南側に、Narai王の時代に、
フランス、イタリアのイエズス会修道士によって建造された貯水施設があります。
水は、町の外の丘の上の貯水池からパイプで送られたようです。
そして、この貯水施設から、宮殿内の各建物に素焼きのパイプで水が送られたとの事です。













その貯水施設の全景です。














貯水施設の内部です。














貯水施設の前に置かれていた赤土の素焼きのパイプです。













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